縁と運、おんぶにだっこで生きている

ごきげんよう。ごきげんいがが?
これは英語で言うところの Hi, how are you? のつもりなんだけど、日本語だとどうしてこうも白々しいのか。

ハッピーニートの丹波移住、今日もただ生きているだけで順調です。というのも、私にとって「場」を整えるのは気持ちを整えるためにけっこう大事なことでして、カオスな居住エリアをいい感じにすることに時間とエネルギーを使っていました。そうやっているうちに、思いついたり、思い出したり、やる気が出たりする。毎日の一番のミッションは、自分のご機嫌をとることなんだからこれはこれで、よし。
ちなみにカオスな我が家の様子はこんな感じ。

カオスな我が家before

いいですね、外と中、陰と陽、カオスな感じがこれまた小宇宙。
ただ、私はまだ地球に住みたいんや。
なかなか愉快な暮らしですが、住んでる環境についてはさておきまた後ほど。

ノイズを洗っていたら肝心な事を思い出した

人って大概相反する性質を自分の中に持っていて、若い時はそのことが妙に恥ずかしかったり疎ましかったりするんじゃないかと思うのですが、もう花の微熟女期、そういうの全部ひっくるめて私ですけど何か?っていう図々しさを手に入れると、いっぺんに楽になり、しかしいっぺんに堕落しそうで慌てて姿勢を正す、みたいな事をよくやっています。

気をぬくとパンツ見えちゃってる人みたいな感じ

ひょんを追いかけ回して、思いつきで行動していると「アクティブだねえ!」と肯定的に言ってくれる人が多くてありがたいのですが、私のこれは衝動買いとあまり変わらず、「この前買ったTシャツは?もう要らないの?」ってならないように整理してお礼を伝えなきゃなと思っています。
出会ったご縁に飛びついて、そして次へと去っていくとき、せっかく頂いたご縁を雑にしてないかな?ということが実はいつも少しだけ気がかりだ。
だいたいいつも二週間くらいかけて挨拶回りをするのだが、それでも会いに行けない人もいて、会いに行けたとしてももう少し気の利いた言葉が言えたのでは?とか、そんな事を思いながら目の前のひょんに飛び乗ったりしている。
そんで多分だけどほとんどの人がそんな私に、いいから元気にやっといで、と思ってくれている(と思う)ので、色々整って来たところでせめてもう少し丁寧にバカバカしい近況報告をしていこうかなとこうしてブログを始めた次第です。

ひょんという得体の知れない何かに、ひょんと飛び乗りがち



急に就職して台風の様に去っていった話

仙台で数ヶ月、少しづつイラストの仕事を再開していた頃、ありがたいことにいつも運とご縁で仕事をさせてもらっていて感謝感激しつつも、なんともモヤッとした妙な焦燥感があったのです。

私、イラスト以外にできることが家事しかない。

本当はフランス語というお得なオプションスキルもあるのだが、活かし方が分からない。これはもう、一度世の中の人がどんな風に仕事をしているか潜入捜査するしかない、ということであっさり東京行きを決めてしまったわけです。仙台で出会った愉快な人たちに、いい感じに仲間入りできたと思えた頃に去ってしまったことが、残念であり、浮ついている様でほんの少しだけ後ろめたかった。

そうして始めた生まれて初めての会社員生活。かかってこい新橋、ハイパーポンコツレベルだった社会適応能力も、10年もサバイブしていたらそれなりに身についてんだぜ、と鼻息荒めに出社してみたのだが、なんという事でしょう。意識高い系IT業界、腰が抜けるほど人の良い人ばかりであった。
絵描きという自分のスキルが歓迎されつつ、勉強したいことをお金をもらいながら勉強できる、こんなにラッキーな環境ははないではないか。こんなことならもっと早くに就職しときゃよかったと思ったほどである。
上司も先輩も非常に良い人たちで、毎日学校会社にいくのが楽しかった。集団生活苦手すぎて高校も中退しちゃった私が、毎日お弁当をもって楽しく登校出社する姿がそこにありました。

愉快なランチタイム
都会のど真ん中でピクニックする日々

だから、しばらくそこで頑張るつもりでいたんだよ(本当に)。今ココでどんな言動をして、どんな仕事をするのかは、毎回ギャルゲーみたいで面白かったし、何よりチームのメンバーがとても好きだった。
だけども、毎朝起きて、同じ満員電車に乗って、今日何を誰と食べたら幸せな気持ちになるかな?なんてことは一切考えなくて良いとされていて、そんな風に何万人もの人が働くように期待されている、その環境が徐々に私のゴキゲンHPをぎゅーんと下げてしまったのだ。
これは私が務めていた会社のことではなく、会社員という働き方そのものの話なのだけど、そりゃあ電車の中で舌打ちもするよね。世界のどこかで紛争が起こってても関係ないよね。そうか、サラリーマンの世界の闇は思った以上に深いんだな、と思った。

あとはやっぱり会社とか組織とか、そういうものが体質的にあってないな、というのもあった。
モノを作る上で会社で学んだことは多いのだが、そもそも「自分と周りの人がハッピーかな?」ということを軸に仕事して来た私にはやっぱり、「サービスを提供する上で成果や評価は当然大事だけども、ところでそれはさておきあなたの人生満たされてますか?」とかそういうことの方が気になってしまって、根本的に会社人に向いてないんだなと思った。

それでも、私らしく、割と好きに泳がせてくれた会社にも、一緒に仕事をしてくれた仲間にも実際のところ私はとても感謝しているのです。こんな得体のしれない経歴の女を採用するのは、どう考えてもリスキーだと思うもの。イチかバチか感すごい。
だからこそ丹波への移住を決めて辞めます、って言った時、

遅かれ早かれこんな日が来ると思っていた。応援するよ
まじか。

「応援するよ!」と、みんなが言ってくれた時はうれしくも、一番申し訳なかった。

最終的には、「ここは君の暮らせる場所じゃないよね…」って、みんなほとんどナウシカみたいに優しかった。
YO!YO!みんな楽しく仕事しようぜー!と周りを巻き込んでおきながら、次の行き先が決まっちゃったんで去ります、サラバ! と10ヶ月足らずでびゅーんと過ぎ去った台風みたいな会社員生活、最初で最後かもしれないけど、とても良い思い出、とても良い社会科見学だった。(合コンのお誘いは一度もなかった)

退社日にもらった卒業証書。「本校」って言っちゃてるww

この時はこの時で、同僚たちはただの同僚というよりもう友人のようになっていて、お世話になりまくってそんなそばから辞めるのが非常に心苦しくはあった。
だけど、この人生私が主役なんで、そこは申し訳ねぇです!としか言いようがないのだ。
思えば幼稚園の年長さんの終わり、「もうすぐいちねんせい」と嬉々として歌っていたそばからフランスの小学校へ転入、フランスで「もうすぐ中学生」と胸躍らせてるそばから日本へ帰国、など、「名残惜しさを噛みしめるプレイ」をずっどやっている気がする。

それでもひょんを追いかけドラマをもとめ、つながったご縁に感謝して、いつかどっかであの人とこの人をつないだり、なんかそんな「ノミ」みたいなやつになれたら愉快で、かつ嬉しいかもしれないと思っています。「ノミのおんがえし」っていう絵本でも作ろうかな。

のみの恩返し

そういうわけで、うっかり雑にしてしまう事もまだまだあるのですが、みなさんにおんぶにだっこされながら、今日も愉快に生きているよ。丹波でのご縁がこれからどっかにつながる様に、ぼちぼちノミの活動を始めたいと思います。

丹波で広がるご縁もたのしみにしております。みなさまどうぞよろしく!

宮城県生まれ南仏育ちのイラストレーター|デザイナー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です