ひょんなことから丹波へ移住しました

ごきげんよう。ごきげんいがが?
私は今日もごきげんだよ。

えにっきを描いては消したり、描いたり描かなかったりしながらも、日々のクスクスを集めながら今日も生きてますサイカです。
さて、ひょんな出来事に目が無い私は、この度ひょんなことから丹波に移住いたしました。タンバ、もといTAMBA、それは京都ではなく兵庫県の山あいにある小さな町で、ごきげんな人たちと、美味しい食べ物たちに出会いまくれる、そんなゴキゲン度の高い場所です。
まさか自分が関西に住むことになるなんてなぜだか考えたことがなかったけれど、ひょんを追いかけ回しているのだからそんな事もあり得るのでしょう、いわゆる「地方移住」を闇雲にしちゃった私のあれやこれやと、すてきな丹波とその周辺のことをこれからご紹介していきたいと思います。
これはただのえにっき改めただのブログだよ!

サイカちゃんあらためドラマちゃん

ドラマチックに生きたいだけ

私が一体何をしているどんな人なのかというと、今はとっさにハッピーニートとか言いそうになってしまい、それではあまりに雑で読んでくれている人に申し訳ないので、ちょっと長くなりますが、どうしてこうなったのかをご説明したいと思います。

そもそも協調性とスピード感を持って働くということが絶望的に苦手という困ったスペックの若者だった私が、いじけ飽きたあたりで「イラストレーター」という名刺を片手にウロウロしはじめたのは20代半ばの頃。
ラッキーなことに出版やら広告やら、そういうイケてる職業についた友人たちが何かと声をかけてくれるようになり、「イラストレーターです」と名乗ることに違和感がなくなってきたのが30歳くらいの時でした。
30歳といえばワーホリに行けるギリギリの年齢だったので、イラストの仕事は幸せだったけど、それはさておき、さて置いて、びゅーんと旅にでることにしたのです。
するとどうでしょう!
それはドラゴンボールでいうところの精神と時の部屋のような、スパルタ式コミュ障矯正プログラムでした。ドラマが多すぎだったのでこれは別途えにっきしてますが、調子にのって海外を1年半くらいウロウロしていたら、人生のゴキゲンHPが大分あがった代わりに婚期を完全に逃しました。
コンキよりゲンキ、サトリよりドラマが大事なんだから仕方がないんだもう。

日本に帰って来て、今度は実家のある仙台に身を置いて少しばかりウロウロ。地域に関わるところでイラストをやりたいなと思っていたら、3.11オモイデアーカイブとか、ふうどばんく東北AGAINとか、ルネッサンスファクトリーとか、震災というキーワードのレベルを超えて街への愛で動いている愉快な人たちとご縁を作ることができて、とっても光栄なことに町のイラストMAPの制作なんかもさせていただくことができました。↓

仙台駅東れきし自慢MAP

私、幼少期を南フランスで過ごすというまあまあ響きの良い過去をもっているのですが、実は大人になっても心の底の片隅で、「自分のアイデンティティが土地にない」ってことがずっと少しだけ恥ずかしいと思っていました。だけどこの時、つまらないって決め込んで出て行った街に帰ってきて、愉快な大人たちと出会えて感じたのは、旅先でのそれと同じ感覚だったのです。

「私はよそ者であり、ここに帰ってくる場所がある」

これこれ。ガラスの十代いじけまくってこじらせていた私がこんなことを言うようになるなんて、われながらドラマチックでにやにやします。
「マジで地元なにもない」みたいな場所には、実はマジでどうかしてる人とか愉快な出来事はあるはずで、やっぱり私はそういう所にコネクトするような動きを諦めたくないなあ、イラストとかデザインとかでそういうとこに食い込んでいきたいなあ、という思いがふつふつと沸き上がっていったのです。

おもしろがり力が上がると、日常がドラマになるね。うふふ。

34歳ではじめての就職、そして移住。

仙台で数ヶ月、少しづつイラストの仕事を再開していた私なのですが、色々思うところあって、私的にまあまあぶっ飛んだ選択をした。

さあ、就職しよう

この辺は後で説明しますが、決めたからにはやってみようはじめての就職。
一週間でダーっと8社くらい受けてみたら、34まで何をしていたのかよく分からない女に内定をくれた会社が3社もありました。社会よ人生よ、甘々か。
内定をくれた会社のうち一つがバズ部の運営元のLUCYという会社で、気まぐれか奇跡か採用されて、ありがたくそこに新人WEBデザイナーとして仲間入りさせて頂いたのです。

どっきどきの会社員でびゅー!仲間たちは最高にいい人たちで、仕事も結構楽しかった。ただ、思った以上のハッピー社畜ライフを送りつつも、そもそも東京でのサラリーマン生活というものが完全に体質に合っていなかった。
会社どうこうというより、東京で、しかも会社員として働くという働き方そのもの闇深さ。東京で生活することのノイズの多さに、「蝕まれる」っていうのが体でわかるようになってしまったのです。

「東京は愛せど、なんにもなぁ〜い」

今なら完全に同意だよ林檎せんせーい!!

あんなに憧れて居心地のよかった東京、文化と野心に溢れた活気を愛せど、空虚なり。テントを担いで歩き回っているうちに、もうここに住める体じゃなくなっちゃたんだなあ、という不思議。さらばマテリアルガールな私。大事なのは、愛とロマンとドラマなのだ。
そんな私、今年に入ったあたりから、バカの一つ覚えみたいにこんなことを言い出しました。

森のそばに住みたい。

田舎に秘密基地がほしい。

すると二週間くらい毎日口に出していてところで、友人がこんなことを言うではないか。

そういう人探してる人知ってるよ。なんならその人、今日兵庫から都内に出てきてるかも。会ってみる?

もうね、願望は口に出すに限るですよ。言ってりゃ叶うですよ。甘々かよ。
そしてたまたま隣の駅で仕事をしていた(!)というその人、現れたのは麦わら帽子のお坊さんみたいな変な人であった。丹波に移住者募集中というその彼、やや肩書きが多くてやってることはよく分からないのだが、移住の話そっちのけで宇宙の話で盛り上がってしまい、ともかく良い人だ、ということは分かった。

すぐに来たらええやん

麦わらの人はそう言ってくれたけど、一応私は会社から逃げ出したいという訳ではないので、まずは住みたい場所かどうか、一度丹波という場所を見に行った。そしたら、「あ、多分住むねココに」ってなったので、正規ルートで退職を申し出、予定より大分早く10ヶ月で会社員生活を卒業したのです。

そういう訳で、6月の末から住んでます丹波。東京で溜まったノイズをキャンセルするために、しばらく何もしないと決めていたので、今は特に何もしていません。
だからまさにハッピーニートがふさわしい肩書きだと思うのですが、最近細々とまた、イラストやデザインの仕事を受けたりしていているので、ひとまずイラストレーター/デザイナーと名乗っておこうかな。これからこの土地で面白くアウトプットをしていく所存ですので、何か新しい名前が決まったら報告します!

ただ、いきてるだけ〜

それだけでドラマ。じゃない?

宮城県生まれ南仏育ちのイラストレーター|デザイナー

4 Comments

  1. いく
    2019年7月12日

    そうだったのね!
    ようこそ丹波~!
    さいかちゃんに会えて嬉しいよ\(^-^)/

    返信
    1. saika
      2019年7月13日

      そうだったのですー!こちらこそいくちゃんと早々に出会えて嬉しいよ!
      まだまだこれから楽しみまっしょーい!!

      返信
  2. UMI
    2019年7月13日

    Saica ちゃん、、、
    なるほどね〜
    私も実は同じような経験をしているよ。
    ぐるぐる廻りまわって
    着いた先は伊勢志摩でした。

    ここにいる不思議、
    だけど、
    妙にしっくり来てて、
    でもまさかココに住むことになるとはつい最近まで全く予想せず。

    なーんにも持ってないけど
    理由なんて聞かれてもわからないけど
    ココで、幸せでーす!

    人生わからないなぁ。
    引き続きお互いに楽しんでいきましょ!

    丹波日記たのしみにしてます!

    返信
    1. saika
      2019年7月13日

      うみちゃん!
      ほんとうに、ひょんというのは何だか分からないけど
      時々よくよくできているよねえ〜
      しっくりくるとか、イマココ感てあるもんね笑
      伊勢志摩もうみちゃんが住んだことで興味津々だよ!
      遊びに行くのでうみちゃんのストーリーも是非今度きかせてくださいー!

      返信

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