ドラマちゃん、闇落ちするの巻

はろう。ご機嫌いかがですか?
私は今、旅、もとい家出しています笑

VIVA!遠阪は着々と準備中ではあるのですが、ハッピーニートのドラマちゃん、ハッピークリエイターにオレはなる!と意気込んだのも束の間、何ヶ月も前から始まっていたメンテ不足がたたってしまい、先日まさかの闇落ちしたであります。こんな所ですっころんで闇落ちするとは思っておらず、結構ショックだったんだけど、仕方あるまい。

今はちゃーんと復活してまして、これもまたネタにして行こうではないか、という感じ。神様ギフトをありがとう。

いやウソです。今回のはネタにするのも憚られるくらいのもんだったけど、このくらいじゃないとネタにもならんのだからどうしようもない。神様この様なギフトは金輪際受け取り拒否したいですよ、という事をここに明記しておきます。

そういう訳で先月末に出かけたきり、私は各所をウロウロしながら生きています。一箇所に止まるから淀むんだ!このクソ忙しい時に、関係者のみなさま本当に心の底からすみません。家出もすれば電話も出ませんが、締め切りは必ず守ります。いい感じに放置してくれる大人の皆さまに感謝が絶えませんー!

本当は毎回くだらないことだけを書いていたいわけだけど、まさに闇上がりの今、起こった事を振り返るとまあまあ興味深いなと思うので、少々の生々しさを覚悟して書いてみたいなと思います。

ドラマジャンキーの大横転

私が闇落ちしてしまったのは、ひとえに自分の軸が真ん中からズレてしまったことが原因だ。この半年をかけてゆっくりと、直近の数ヶ月で急激に、自分のど真ん中にあったはずの軸が大幅にズレちゃったのである。

コマも地球も私も、真ん中の軸がズレると廻れないどころか大事故になるんだねーと、強烈に理解した今回の件です。

あとまわるのは時代

ちなみに今、「コマ」は漢字で「独楽」と書くと知って軽く衝撃を受けている。軸が真ん中にあると、「独りで楽しく回っていられる」というわけだね、天才かよ。

そもそも私はとても若い頃、自己評価も低ければ自己肯定感も低く、何かとネガティブに捉えるわ、いじけてしまうわの、我ながら手に余るこじらせちゃんであった。今では「えー!想像できない!」とか毎回言われては、「ふふん、そうでしょ☆」なんてやってるけど、事実である。
当時、それにはそれなりの理由があったような気がするけど、それでもそこに留まるのは何より自分が苦しかったし、とても長い時間をかけて、沢山の人の手を借りて、自分でえいっと踏ん張るくらいには少し頑張って、小さな山をちょっとずつ登るようにして生きてきた気がするのです。

そんで、大きめの山もまあまあ登れるかな?って頃に少しウロウロし始めて、旅先にて期限つきの恋をしたり、軽く死にそうになったり、喧嘩したり優しくされたり、天気の日もあれば嵐もあり、それでも緑は美しい、さあ旅に出よう勇気を出して大空へ、的な、小学校の校歌みたいに日々を過ごすようになると、物事はいちいちドラマチックになった。喧嘩した相手にさえ感謝してしまうような、虹色みたいな気持ちになった。

そんな風になると、目に映る世界の彩度は異様に高く、嘘みたいなミラクルは本当に起こったりするし、「あれ、私そろそろツボとかなんとかストーンとかなんとかウォーターを販売しちゃうんじゃないかな?」みたいな口ぶりになるほど、いつの間にか泣く子もある意味口をつぐむハイパーゴキゲン野郎に仕上がっていたのです。

山だろうが雪だろうがジャングルだろうが、生きてる内は味わい尽くすんで、カモン!と言わんばかりに、正面から悩みごとや面倒ごとにぶつかっていく様は、もはやドラマジャンキーと呼べたかもしれない。

これは何も誰かに喧嘩を売るとかそういう事ではなくて、独りで楽しく回っていられる私は、誰かにジャッヂされることを怖がらないし、反省することは反省するし、違うと思うことは違うと言って、ハグしたい相手にハグをしたい、そういう風にやっていくよってだけのことであった。

そのことで味わう辛さなら、味わい尽くそうじゃないのってこと。だって私は健康で、ここは戦場じゃないからね。それだけのことだった。
それだけのことが、まあまあ刺激的だったから☆

イリーガルなサムシングな感じのする絵になってしまったけど至って健全です

(ちなみ実際の旅やレジャーは、普通に安全に考慮して動くタイプです。やんちゃと無謀の境目は慎重にね☆)

そんな私が物凄いスピードで、崖を転げ落ち、光の届きそうにない海底のそこまで落ちていく、そんな事態になってしまった。がーん。

久々に落ちた穴は絶望的に深かった。

ことの始まりは去年の後半あたりのことである。

ひょんなきっかけで、家主のサトリくんが、ほったらかしながらもなんとか人の住む状態になっていた我が家にちゃんと向き合い、ほったらかしてしまったお家と、自分自身の色々と対峙しなければいけない内省の旅路に出ることとなった。それは私が10日間のヴィパッサナー瞑想でやったのと同じようなことで、予告なくやってきた自分とガチンコご対面の時間に、1ヶ月ほどの間はなかなかに苦しそうな家主くんであった。

それを私は真横で見ていた。

この特殊な住環境の住人としては半分は我ごとであったし、ほとんど兄弟みたいな友人が本気でやると言っているのだから、真横で見るこちらも本気でハートと体力を使おうじゃないか、ということで手伝ったり対峙したりしていた。
うっかりとはいえ人の人生の棚卸しに付き合う事になるというのは、結構ヘビーなもんだなとか感じながらも、こういう役をもらえるという事自体がかなり光栄な出来事でありがたかった。人と関わりきる覚悟を試されているみたいな、新たなプレイにハラハラドキドキして応戦していた感じ。

そうしている内に、それを手伝いたいという人たちが沢山手を挙げてくれて、サトリくんも元気になっていったし、その様子を見守れることが私も嬉しかった。

ただ同時に、シェアハウスとしての運営らしい運営のされていない我が家は、良くも悪くもコミュニケーションをとることを前提とした住環境でありながら、元々そういう事に我がごととして関わろうという勢力が、まあまあ弱かった。

そんな中で「お家に関わろう」という人たちと「我関せず」な勢力の間で、私は前者をとった。そして後者とは、どんな風に関わることが良いのか分からないなーと思いながら暮らす内に、正直に言うと、怒りや失望を感じてしまった。で、「ユパさま!私こわい!」のナウシカよろしく、そういう勝手な感情を手放すために、結果、関わることからすっぽり諦めてしまった。またはその前に「諦められてしまっていた」とも言えるかもしれない。

ところが、今思えばその選択が私自身を一番傷つけた。他人に「期待しない」のと「関わる事を諦める」は似ている様で違うが、「期待しない」をやりきれなかった結果「関わる事を諦める」という間違った方法をとってしまった。私にとって人と関わる事を諦める事は、感覚機能の一部を殺して生きているような感じで、徐々に他の感覚や毎日の彩度が失われていく…。って分かってたのにやってしまったんだ。ばかー。

そしてさらにその反動から、前者へ感謝の気持ちもこめつつ関わろうとすることで、私はハートも体力も、時間も使いすぎてしまった。結果、自ら期待に答えて「しっかり者」みたいな顔をしてしまうようになってしまったのである。ここまでじっくり数ヶ月。色々うっかりしていた。

いつの間にか、フラフラへらへら「独りで楽しく」回っていた私は、「〜しなきゃ」みたいな気持ちで日々を過ごすようになり、それを「えらいなあ^^」と見守ってくれる人たちの気持ちもそれなりに嬉しくて、自分でもよく分からない内に、元気に何かをすり減らしていた。それに気がついた頃には、机に向かっても絵もかけないし、ロクに字も読めないし、何かにトキメクということなく、じわっと目に涙が浮かんでくるようになっていた。

サトリくんは「そんなに自分を追い込まなくてええで」って言ってくれたけど、そんな風になってしまったこと自体が悲しくて、一体どこで何を間違ってしまったのだろ…と考えては悲しくなり、しまいには私のやることなすこと全部間違っていて、ウソの気持ちで、ただのエゴだったんじゃないかと思うようになってしまった。

落ち込み方がエグいほど極端なタイプ

ここからは、光の速さで闇深いところまで落ちていった。やっぱり私は誰ともちゃんと関わることができないんだ、という思い込みにのまれて行った。

ただし、「こういうことは自分の気の持ちようである」ということは重々理解していて、こんなことで死んだりしないし、私の好きな人たちが私を嫌いにならない、なんてことは頭ではよく分かっていた。
問題は、自分のことを全然好きだと思えなくなってしまったということである。はて、どうしたもんかなと。

タタリ神を払う禊の3DAYS

大丈夫、という認識があるのに上がって来れない。おそらく現実であろうポジティブなものの捉え方を、ネガティブや自己嫌悪が飲み込んでゆく。

女優ですか?ってくらいのめり込むタイプである、我ながら。

もうね、こうなったら自ら闇の方にとことん落ちていくしかないのですよ。そんで、決めた。最悪な妄想だけをする3DAYSをやると決めました。そういうやり方しかできないんだ私は。死にもしないくせに死にたくなるような気持ちに、えいやっと、みずからダイブしました。

ここは黄泉の国…
私にはこの腐敗した世界が似合っていて、普通の世界で楽しく生きている人たちが羨ましいし、ここまで引き摺り下ろしたい。気分はイザナミ。ああ、そんなことを思う私は最低の人間であって、そんな奴は愛されなくて当然で、そんな私なんか死んでしまえばいい。アフリカの果てまでいっても私のいく先々で誰も助けてくれる人なんか一人もいないだろう、そんな奴はサバンナのど真ん中で猛獣に食われてしまうのがお似合いなのである。ああ、こんなちっぽけな被害者意識で動けなくなるなんて、とことん最低だ。ごめんよ親も友人も神様も………なんて言うこいつの首を、私が刈る…!!

みたいな、人生の嫌な思い出をキャストとして総動員、エライ壮大な脚本をつくり、三日三晩被害者意識と自己嫌悪で泣き続けた。

オッコトヌシさまァァァ!!

そして三日後。飽きた。

別に晴れやかな気持ちになったわけでもないけれど、攻撃性のつよい感覚のやりとりは、あらかたカタがついた。

こんな事えにっきでさらすんじゃないよぉ…とか思いながら今かいてますが、引くほど効率が悪い自分がもはや可愛く思えてきたナウ。ともかく、こういうことはやり切らないとぶり返すタチなのである。しかもその昔、ゆっくりじっくり確実に登ってきたと思われた山々から、突然崖崩れして落ちてしまったこの恐怖、味わい尽くさないでもう一回のぼって来れる気がしなかった。

天岩戸をひらいた私は、面白いくらいにスカスカであった。ゲロ吐きまくったあとのカオナシみたいに透明であった。

つづく

宮城県生まれ南仏育ちのイラストレーター|デザイナー

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