冥想したら双子の姉に逢えた話(3)

さっさと本題に入りたいところですがおしゃべりくそやろうの私が何かを説明すると脱線が止まりません。

そろそろ双子の姉をしないとみなさんに愛想をつかされてしまいそうなので、移住ブログ番外瞑想編は、今日でやっと最終回にしたいと思います!

急に感動した8日目、ステップ2

雑念にイラついたあげく、宇宙モードを発動したというのが前回までのお話ですが、その続きです。

ステップ1でカラダと精神を切り離して眺めるような感覚に身を任せていると、身体を離れた「私」はそれはそれは自由な存在のように思えたのです。
この小さな小さな「『私』の器」は、ただそこにあり、ひたすら現実と対峙している。「本来の『私』」は普段はただそこに閉じ込められているだけで、快も不快も好きも嫌いも本当はないんじゃないのか、とか。

とか。

んんんんん?????


ちょっと待て。

「『私』の器」は、ただそこにあり、
ひたすら現実と対峙している

だと?

そういえば、一週間経って、流石に集中力も増してきた。足がしびれることもなくなった。私の腰は、この重い上半身を見事に支え、居眠りしても姿勢が崩れることが無いではないか。
ふんふん、よく頑張っているな私のカラダ。

よくがんばっている!!!!!

もう一度、宇宙モードから「私のカラダ」をしかと見た時、ものすごい衝撃が走ったのだ。

私のカラダはただそこにあり、ひたすら現実と対峙している。痛み、しびれ、暑さ寒さ、眠気などを、ひたすら感知してはいるが、それをしんどいだの嫌だのと、文句をたれて諦めるのは常に精神のほうの「私」ではなかったか。

この瞬間に私が死にたいとわめいても、カラダの私は傷がつけば瞬時にそれを修復しにかかるだろう。それはそれは実直に、ただひたむきに、文句も言わずに「私を守る」という仕事をこなすのである。
そんなもの言えない「彼女」の声に、私はこの人生で一度でも耳を傾けたことがあっただろうか。


それどころか「体が言うことを聞かない」と文句を言い、私も自分なんか嫌いだと自分を傷つけるようなテンプレな思春期を送ってきたもんだよ。
彼女はただひたすらに、私を生かしてきたというのに。

すごいことに気づいてしまった


いよいよ果たせた「姉」との再会

そんなことを考えたら、自分の体がとてもとても愛おしく、尊く思えた。

そういえば、私は「私はどこから来たのかな?」と両親を困らせる質問をやたらとする子供であったのだが、子供ができる仕組みを知ってからというもの、そして子供がいてもなんらおかしくない年齢になった今に至るまで、割と同じことを定期的に考えている。

人の魂(もしくは精神)が体に宿るのは、一体どのタイミングなのかな?

答えなんか分からないし、前世云々とかにもあまり興味がない。スピリチュアルな問いではなく、SF的にものすごく不思議だなと思うのです。
そんで多分だけど、精子と卵子が受精して細胞分裂を始めたどの瞬間かはわからないけども、「細胞の私」よりもあとに「魂(もしくは精神)の私」がやってきたんじゃないかな?という気がするのである。
根拠のない私の妄想の話だけれども。

あなたはじっと、わたしがくるのをまっていた

ただ、となると、「細胞の私」は今このことを語っている「私」よりも先にこの世に誕生し、「私」がここにくるの準備をして待っていた。

うわ。あんたずっと待っててくれたんじゃないのん?????

「もう一人」の存在にうろたえるの図

なんだかよく分からないけれど、妙に感動して夜中に泣いた。
言っていることが若干ヤバいので引かれそうだけど、細胞の私である「双子の姉」は、この世界に「私」よりも先に誕生していたばかりでなく、おそらく「私」が死ぬ時でさえも、それを見届けてから朽ちて消えていくのだろう。

そんな愛が、果たして他にあるだろうか。

ええ、若干ヤバいのは百も承知だけども、その日私は私をハグしまくった。35年ぶりの再会なのでこれくらいの感動はどうか許していただきたい。
ないがしろにしまくってきたごめんねも込めて、「私」にしか言えない愛しているよを唱えまくっていた。
キモいけどしょうがないじゃん。ふふふ。

目指せシンクロ率

ところでこの感動体験、要するにアレじゃないか、

シンクロ率の低い初号機は暴走、高めのシンクロ率を誇示するアスカもやっぱりメンタルをやられて暴走、「逃げちゃダメだ」やら「もっと私を見て!」とわめく二人を傍観する零号機と綾波レイはヴィパッサナーで「双子の姉」に出会っちゃった宇宙モードのようである。
感情が高ぶって「本能」丸出しの時は奇跡のシンクロ率を発揮するものの、エヴァがなんであるかも分からずに右往左往する二人を「アホか」という目でみているレイちゃんは、ほぼほぼ悟りに近い人みたいだ。

アスリートやアーティスト、ビジネスマンなど、世の中にはすごい人が沢山いるけれど、なるほど身体と精神の鍛錬をしている人がすごいパフォーマンスを発揮すると言うのは当然のことなんだなと思った。双子の姉や兄とともに二人三脚でことに当たっているのであれば、それはもう零号機並みのシンクロ率。
「細胞の私」の存在も知らず愛さずに「『ぼく』に優しくしてよ!」とか言ってるうちは、シンクロ率はなかなか上がらないのかもしない。
うんわかった。明日から筋トレしよう。

でも、持って産まれた身体と精神のコンディションは平等ではないわけで、そのことで人生の多くの時間を苦悩する人がこの世界に沢山いることもまた事実現実。なのでその辺のことは想像しても私には説明ができないし、今回の体験はあくまで私個人が体験した感動でしかないです。
ゲンキンな私は、イライラしまくった7日間を経て双子の姉に再会し、その核を提供してくれた父と母に感謝しよう。そんで自分の身体と精神を愛でようじゃないの。

このプログラムが一週間ではなく最低10日間と設定されていることの秀逸さよ!
対峙してきた走馬灯は目まぐるしかったけど、実はほとんどすでに腹落ちしているもので、それよりもその後にこんなスペシャルな出会いが控えていたなんて、よくできているとしか言いようがない。なんてドラマチック!

だって結局のところ、私は転んだり泣いたり憎んだり暴れたりという心中穏やかじゃない状況をもひっくるめて、愛していくと決めちゃってんである。

そういうプレイなんである。

サトリとかいらん、生きているうちはドラマが欲しい。
そんで語るネタの多きクソババアになりたい。

これはもう、サトリ系ドラマちゃんと自称しても良いのかもしれない。
残りを大事に瞑想して10日ぶりのシャバの空気、楽しいおしゃべりにウマい飯!瞑想で真理に近付くことよりも、私にはこっちの方が大事だよ。
なんたって、季節の匂いも友人の声もごはんの味も、双子の姉がいつでも正確に感知してくれているんだもんね。

正直くっっっそしんどかった修行ですが、人生で一度はこういうことはしても良いかも!と思える人体実験でした。興味ある人はすぐにとは言わないけど、準備ができた人からぜひ行ってらっしゃいと言いたいです。

ちなみに帰宅してこの「双子の姉」の話をすると、タイムリーにもコトリちゃんとロマンくんが「今読んでいる本に同じようなことが書いてある!」と教えてくれました。なんという我が家のシンクロ率!
ディーパック・チョプラ著『人生の本質』という本だそうで、「身体というのは常に最適な状態であるように活動をしている」みたいなことを言っているのだとか。面白そうなので私ものちほどぜひ読んでみたいなと思っています。

さあさあ長くなった私の迷走改め瞑想体験、これでおしまいです!

次回からはまた愉快な移住生活をお伝えしたいと思いますよ。
ごきげんようー!!



宮城県生まれ南仏育ちのイラストレーター|デザイナー

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