相変わらずのひょん続きで丹波から実家の宮城へ帰省しました。丹波での出会いがまさか宮城県にまで繋がってしまうなんて、いよいよドラクエ感が増してきた私の日常です。
角田に泊めてもらった翌日、べんちゃんに改めてその周辺やご近所さんを紹介してもらうと、そこには宇宙も富士山も、それと有名なスケートのあの人の姿もあって、混沌とした世界が待っていた。
ほらもう、唐突なカカシのディスプレイなど、「混沌」以外の表現が見つからないよ私には。
17000体の祈りの像
ご近所の宇宙の話をします。
べんちゃんのご近所さんという人に、ヤバイ人がいた。震災以降、鎮魂の意を込めて「祈りの像」を掘り続けているおんちゃんだ。今の所、おんちゃん力が強いぞ角田市。
話では聞いていたけれど、見せて頂いたお宅は中も外も、ちょっとした異空間。
お家の裏山はもうジブリ。
作者は、元刑事の大沼さんというおんちゃん。定年後は竹細工的なことをして過ごそうかなあと模索していた折に、東日本大震災が起こり、それからというものずっと「祈りの像」を彫り続けているのだそうです。
誰かに見せようとか、自分の想いを表現しようとか、そんなレベルで手を動かしている人ではない。何かを背負っている風でもなく、ただ、自分がやるべきこととして淡々と着々とやってきた、ただ素材と刃と向き合ってきたんだなあという感じがする人である。
一瞬強面な大沼さん、職人みたいな気難しさや、ぶっきらぼうな照れ隠しを出すでもなく我々を迎え入れてくれて、かといって過剰にお客さんとしてもてなす風でもない。特別なことをしているそぶりは微塵もなくて、時々「いやぁ手にはこたえますよ」なんてすごく普通なことを言う。
なんだかとても頑丈な、とても古いお家の土壁みたいな人だ。ただそこにいる。でもただ、「ちゃんと」そこにいることの尊さやカッコ良さをを体現しているみたいなひとだなあと思った。写真では伝えきれないが、一人の人が向き合ってきた17000体のすごみは、すごい。
ひょん下手な父、ひょんデビュー
角田で過ごした1日がとても楽しかったので後日、私の父を巻き込んでもう一度ご挨拶に伺いました。さて、この日は私がお世話になっている人に会わせたくて、父を連れてきていたのだが、ここでも出ました小さなひょん。
元県警の刑事さんだったという大沼さん、その後輩が父の同級生であると言うことが発覚。
こうなってくると近いんだか遠いんだかもはやよく分からないが、海外から帰ってきたと思ったら、就職したんで一安心と思った矢先に丹波に移住したナゾ多き娘から、帰省と同時に色々つながっちゃったご縁に父は感動のご様子であった。
ありがたいご縁に助けられて、見えない綱渡りばかりこの10年くらいやっている私に対して、見えない綱の見つけ方も渡り方も繋げ方も良く分からずに、不器用にバカ正直に生きてきた父。私たちはそれなりに内乱も冷戦も繰り広げてきたが、お互いに交差しない全然違うタイプの生き方だ、というのが最近やっと少し伝わったようで、やっと楽になってきた。多分お互いに。
親子の話は長くなるので割愛しますが、昔の私にはお家に帰りたくない理由なんて数え切れないほどあった。でもこうして年々、お家に帰る楽しみが増えていくんだから、いいじゃないの。
ドラマちゃんは昔から自由奔放に生きてきたと思われがちなんだけども、実は帰省するたび、この街と家から逃げ出した自分と向き合っていたりするよ。
仕方がないじゃん、それでこそドラマやねん。うひひ。
雨ざらしで変形していくものも、キノコのドレスを着ている風になっているものも、それぞれ時間と自然のなしてきた仕事。それでも祈りはここに変わらずあったんだなあと思える、とても不思議な大沼さんのお山です。
大沼さんの目下の目標は、来年夏までに震災で犠牲になった方の人数と同じく23000体の像を彫り上げることだそう。私もまたご挨拶に伺いたいと思うところですが、今は制作に集中するため取材も極力控えているそうなので、是非像を見せていただきたい!という方は来年夏以降まで待ってみましょう。
べんちゃん&大沼さん、貴重な時間と空間と、宇宙的なご縁をどうもありがとうございました☆..*